胃がんリスク検診の講演を行いました
5月22日に秋田にぎわい交流館で、胃がんリスク検診に関する講演を行いました。
そのレポートをご紹介します。
ひもんや日記「秋田津軽一筆ヶ記」より
黒沢明監督の映画「生きる」は、1枚のレントゲン写真のアップから始まる。
「これは、この物語の主人公の胃袋である。幽門部に胃がんの兆候が見えるが、本人はまだそれを知らない」 というナレーションが流れる。
勤続三十年を目前にした市役所職員は、胃痛で病院を受診し胃潰瘍と診断されるが、医者同士の立ち話から、自分が胃がんであることを知る。
勤続三十年、高校卒なら今の私より若い。
昭和二十七年当時、胃がんは患者本人に告知できない死病であったのだ。
胃がんはX線バリウム検査の発明によって診断できるようになり、健常者から胃がんをみつける目的で胃がん検診が行われるようになり、バリウム検査は健康診断のメインディッシュとして欠かせないものとなった。
X線検診車による巡回は、胃がんが多く、医療機関の少ない東北地方からはじまった。
その後、内視鏡が開発され、それまでバリウムの影でしかとらえられなかった胃がんを直接見て、 更には、内視鏡でお腹を切らずに胃がんを切除することができるようになった。
胃がんに対する考え方を根本的に変えたのは、胃粘膜に感染するピロリ菌の発見である。
ピロリ菌の発見者は2005年にノーベル医学生理学賞を受賞した。
幼少期のピロリ菌感染による胃粘膜の萎縮が胃がんの原因であり、ピロリ菌を退治することで胃がんになる危険度を下げることができることがわかったのである。
この半世紀で、いつ誰がなるかわからなかった我が国を代表する死病は、予知して予防できるようになりつつある。
私は二十年来、採血でピロリ菌感染と胃粘膜萎縮を検査し、胃がんになりやすいかどうかを診断する「胃がんリスク検診」の仕事をしてきた。胃がんの95%以上はピロリ菌感染を背景にしている、それを簡便に判断できるのが胃がんリスク検診である。
胃がんリスク検診は徐々に普及し、全国で実施されるようになったが、ここまで来るには強い軋轢があった。
胃X線バリウム検診を推進してきたグループと対立する状況になってしまったのだ。
私は胃X線検診を否定するつもりはない。その功績は大である。ただ、バリウムを飲むべき人と、飲まなくてもよい人がいるということは間違いない。
東北地方はピロリ菌感染率が高く、塩分の摂取率が高い。塩分だけでは胃がんはできないが、ピロリ菌感染に塩分過剰が加わると胃がん発生率は上がる。
大雑把にいうと、東北地方ではみんなが胃がんハイリスクだったので、リスクを調べる必要がなかったのだ。
上下水道の普及や衛生状態の改善から、全国的にピロリ菌の感染率が下がってきており、胃がん死亡率全国第一位の秋田県も例外ではない。
秋田でも、胃がんリスク検診で胃がんになりやすい人、なりにくい人を判定し、効率よく胃がん検診を行うべき時期がきた。
今回私は胃がんリスク検診の講演のために秋田に来た。
私を呼んでくれたのは、かつてのライバル、秋田県放射線技師会である。
講演会場の秋田にぎわい交流館には屋台が並び、人で溢れていた。
野外ステージでは、東北のAKBを名乗る娘たちがスピーカーからハイトーンを響かせ、飛び跳ねている。
どうやら地元のテレビ番組の公開収録イベントと重なったようである。
講演を終えて、帰りの電車までには間があったので、隣接する秋田県立美術館に入る。
藤田嗣治作品の収蔵で有名な美術館である。
私にとって藤田は猫の画家である。写実的ではないが、今にも画面を飛び出し抱きついてきそうな藤田の猫にはファンが多い。
この美術館のメインは幅20メートルという巨大な作品「秋田の行事」である。描かれてる人も馬も等身大である。
これは、藤田が昭和11年に、秋田在住のパトロンの平野政吉の要請で描いた壁画で、竿灯やかまくらなど、秋田の四季や祭り、生活が一枚の大画面に描かれている。
土産物の包み紙のようなこの絵を、私は好きになれない。
後に藤田は陸軍の要請で大キャンバスに戦争画を描き、その廉で戦後日本にいられなくなる。
藤田がどの程度秋田の地におもい入れていたのかはわからないが、少なくとも「秋田の行事」から猫の勢いは感じられない。
秋田蘭画の伝統のあるこの地で、東京の画家に大金をつかませて描かせた観光案内を奉じている秋田県民の気持ちがわからない。
秋田藩の知恵袋、菅江真澄は三河出身で、放浪の末秋田に住みついた人、横手市には石坂洋次郎記念館があるが、石坂洋二郎といえば、わが弘前出身である。
そもそも藩主の佐竹氏も、水戸から国替えしてきたよそ者である。
秋田という地は、よそ者に寛大なのかもしれない。
14時13分の秋田新幹線で帰京すべく、秋田駅に着く。
改札口の電光掲示板には、「こまち24号」と並んで「リゾートしらかみ5号 14時17分」という表示がある。
主催者には言い出せずにいたが、私は五能線経由で帰るルートに心惹かれていたのである。
秋田新幹線は毎日1時間おきに運行されているが、リゾートしらかみは季節列車である。
タイミングよく乗れる機会はなかなか巡って来ない。
そして快晴である。5月の空気は心地よい。
人生で大切なのは、チャンスを逃さないことと、決断である。
私はみどりの窓口に向かった。
講演で提供された乗車券を払い戻しセコイと評された知事のこともあるので少し気が引けたが、差額を払っての経路変更であれば、不適切のそしりを受けることはあるまい。
14時前であったが、リゾートしらかみ号はすでに秋田駅2番線ホームで乗客を迎え入れている。
かつて特急列車や寝台車は、発車時間のずいぶん前から始発駅のホームで扉を開けて待っていてくれた。
駅弁を食べはじめ、酒を呑み始めている客を後目に、膝の弁当をがまんしながら車内で出発を待つ時間は、旅への期待を高めてくれた。
新幹線の時代になって、列車はホームに客を待たせて清掃を行い、客を乗せるとすぐに駅を追い出されるように発車していくようになった。
売店で缶ビールのロング缶2本と、秋田特産のいぶりガッコを乾燥させたつまみを買って、私はリゾートしらかみ号に乗り込んだ。
時間はゆっくり流れている。
リゾートしらかみ号は、秋田から奥羽線を下り、東能代から日本海沿岸を通る五能線に入る。川部でまた奥羽線に入り弘前を経由して、5時間かけて青森に向かう。新青森で19時44分の最終の東北新幹線に乗り換え、東京駅着23時4分である。
予定通りのこまち号に乗れば、18時4分に東京駅に着く。
人生とは時間の過ごし方である。
ゴールを目指し、早く目標を達成することは大切だが、それがすべてではない。
不幸な成功者はたくさんいる。
いつどんなときでも、瞬間刹那に幸せを感じ、それを積み重ねている人こそ、人生の覇者である。
夕方6時に東京駅についても、いつものルートを呑み歩き、家に帰りつくのはおそらく深夜だろう。
遠回りの言い訳をいろいろと考えているうちに、リゾートしらかみ号は秋田駅を発車する。
ボワーンという機動車の発車合図の警笛に合わせて、ビールをプシュっと開ける。
秋田をわが青森県と比較して低めるようなことを言い続けたが、去るとなると名残惜しい。
よそ者への寛大さが身に染みる。
寛大に甘えて、秋田を去るにあたり書いておかなくてはならないことがある。
佐竹氏の前に出羽を治めていた豪族は秋田氏であるが、秋田氏は出羽に版図を広げた津軽安東氏の後裔である。
※秋田津軽一筆ヶ記は ひもんや日記 に連載中です。
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